建築学部開設記念レクチャーシリーズ

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建築学部開設記念 レクチャーシリーズ 4
No.13 陣内 秀信(じんない ひでのぶ)氏 講演会
「続 [ 東京の空間人類学 ]」

工学院大学では、2011年4月の「建築学部」開設以来、一流のプロフェッショナルにお話しいただくレクチャーシリーズを開催しています。
第13回は陣内秀信氏をお迎えします。
参加費無料でどなたでもご来場いただけます。奮ってご参加ください。

第13回建築学部開設記念レクチャーシリーズ 陣内秀信
開催日時

2014年2月12日(水) 19:00~21:00(開場18:30)※終了しました

講演テーマ 「続 [ 東京の空間人類学 ]」
会場 工学院大学新宿キャンパス 3階 アーバンテックホール(アクセスマップはこちら
定員 250名(事前申込による先着順)
入場料 無料
講演者
陣内 秀信

Hidenobu Jinnai

Hidenobu Jinnai

- プロフィール -

法政大学デザイン工学部教授
東京大学大学院工学系研究科博士課程修了
イタリア政府給費留学生としてヴェネツィア建築大学に留学、ユネスコのローマ・センターで研修。
専門はイタリア建築史・都市史。
パレルモ大学、トレント大学、ローマ大学にて契約教授を勤めた。

- 受賞歴 -

サントリー学芸賞、 地中海学会賞、イタリア共和国功労勲章(ウッフィチャーレ章)、パルマ「水の書物」国際賞、ローマ大学名誉学士号、サルデーニャ建築賞2008 、アマルフィ名誉市民

- 主な著書 -

『東京の空間人類学』(筑摩書房)、『ヴェネツィア-水上の迷宮都市』(講談社)、『都市と人間』(岩波書店)、『シチリアー<南>の再発見』(淡交社)、『地中海世界の都市と住居』(山川出版社)、『イタリア 小さなまちの底力』(講談社)、『迷宮都市ヴェネツィアを歩く』(角川書店)、『イタリア海洋都市の精神』(講談社)、『イタリアの街角から―スローシティを歩く』(弦書房)、『アンダルシアの都市と田園』(編著、鹿島出版会)、『水都市 江戸・東京』(編著、講談社)他

ナビゲーター
倉田 直道

Naomichi Kurata(工学院大学建築学部まちづくり学科教授)

主催
工学院大学
お問合せ先
工学院大学 建築学部開設記念講演会事務局
電話番号:03-3340-0140
メール:infokenchiku●cc.kogakuin.ac.jp(●を@に直して送信してください)

summary

『東京の空間人類学』と江戸東京ブーム

今からおよそ 30 年前に『東京の空間人類学』(筑摩書房、1985)という本を出しました。当時、なぜこのような本が生まれたのか。また、そもそもどういう思いで都市に興味をもつようになったのか、なぜイタリアに行ったのかなどを、時代の流れとともに自ら振り返ってみたいと思います。さらに、この本を出版した後も、東京の新しい発見がたくさんあったので、どんなことを考えてきたのかもお話ししたいと思います。

この本を出版した 1985 年は東京のターニングポイントでした。江戸東京ブームが生まれ、バブルの時代に突入していきました。翌年には雑誌「東京人」が創刊され、赤瀬川原平さんや藤森照信さんたちが『路上観察学入門』を出版しました。バブルで開発がどんどん進めば、取り残された愛くるしい物件が路上から面白いメッセージを伝える。そこで路上観察学会の活動が非常に輝いたわけです。彼らの影響でまちあるきのブームも生まれました。

空間派 VS 物件派

藤森さんと僕は大学院の同期なのですが、路上観察学会を旗揚げする直前、藤森さんがあいさつに来られて、「これから陣内君の空間派とは全然違う面白いことやるから見ててよね」とおっしゃった。僕のやっていることを「空間派」と命名して、路上観察学会は「物件派」だと言うわけです。こうして、80年代後半の都市論は空間派と物件派に分かれました(笑)。

しかし、バブルの状況では、東京の空間を価値付けても、すぐに消費されていきました。それまでは、東京にも、家の中に入れてくれるようなホスピタリティやおもてなしがあったのですが、開発が進み、まちが失われていくのと同時に、地上げ屋と間違えられるようになったんです。そういう状況で調査を続けていると自分の根底が崩れると思い、東京を離れることにしました。

中国、イスラム、地中海へと渡り、学生時代に留学していたイタリアへ再度向かいました。1991 年に再びヴェネツィアへ戻ってみると、あんなに複雑だと思っていたヴェネツィアがよく見えてくるようになりました。それは、常に東京と比較をしていたからだと思います。東京は摩訶不思議な非常に難しい都市で、学生時代にイタリアで学んだものを応用するのに工夫が必要でした。そこから、『東京の空間人類学』のその後を考えてみたいと思うようになっていきました。

時間が積層した都市空間を読む

ヴェネツィアに興味をもつようになったきっかけは、学生だった 70 年代前半にさかのぼります。当時の近代建築史には時間軸がなく、形成・発展・変容といった都市のダイナミズムをとらえる視点が欠如していました。僕は日本の都市空間を新たな視点で読み解く必要があると考えていましたが、その方法がなかったのです。そのころ、歴史的町並みを理解する方法は、ほとんどが英国流で、街路沿いの表のタウンスケープばかりが重視されていました。しかし、土地の条件は継続して、上物がどんどん変わってしまう日本では、表側だけを見てもほとんど意味がない。そこで、時間が積層した都市空間を読むイタリア流のサーヴェイ方法に興味をもつようになり、イタリアへ行きました。ヴェネツィアでは、近代都市が否定したものが豊かに存続していました。

ヴェネツィアには、水上都市、迷宮都市、演劇都市など、東京のヒントになるキーワードであふれていました。また、サヴェリオ・ムラトーリやパオロ・マレットが、学生たちと一緒に行ったヴェネツィアのサーヴェイは東京を読むうえで有効だと思いました。それを学んで、日本で応用しようと考えていました。

多様な機能をもつ東京の水辺空間

その後、日本に戻って、80 年代前半に東京の調査をはじめました。当時から、現代の地図と江戸の地図を重ね合わせたり、東京の凸凹地形を感じながら、まちあるきをしていました。本郷台地から上野台地までをスパッと切って断面を見てみると、下に町人地、上に大名屋敷があって、高いところに神社がある。東京では地形をうまく活かしながら、人々の営み、空間、風景が生まれています。建築のタイプもそれに応じてとてもバラエティに富んでいました。イタリアで学んだ方法だけでは応用しきれない都市だということもわかりました。

一方で、我々は近代にとらわれすぎていて、本来の民衆的、土着的な場の論理や空間人類学的な視点から遠のいていることにも気づきました。そこで、水辺に目を向けるようになったんです。下町を違う視点で見ようと考えたわけです。すると、日本では水辺が多様な機能をもっているということがわかりました。物流に利用されていたり、盛り場があったり、演劇空間になっていたりして、水辺の空間が受け継がれてきました。こうした東京の調査をまとめて『東京の空間人類学』を出版しました。

地形から東京の根源を探る

今、東京の地形を解読した本がかなり売れているんですね。2004 年に出版された『タモリの TOKYO 坂道美学入門』をはじめとして、中沢新一さんの『アースダイバー』や皆川典久さんたちによる「東京スリバチ学会」の活動などが有名です。雑誌「東京人」でも近年、江戸時代よりさかのぼって古代や中世の方に関心の中心が変わってきました。江戸と東京をつなげるだけではなく、東京らしさの根源に迫りたい。そういう時代になってきたのだと思います。太古からつながる地形を見ていくと、東京や日本の特徴がよくあらわれて、まちづくりの方針が出てくるわけです。バブルのころの断片化は、まちを見るきっかけを与えてくれましたが、個々の物件からはまちづくりの方針は出にくい。何が言いたいかというと、結局、空間派が勝ったということです(笑)。

我々は 10 年近く東京・日野の調査を行っているのですが、日野は東京の地形の縮図と言われていて、面白いんです。台地、丘陵、多摩川と浅川、沖積平野があって、縄文、弥生の遺跡は丘陵や台地のエッジ部分から出てきます。江戸時代には、川から取水してネットワークの用水路をつくることによって、微高地だけに住んでいた人々がさまざまな場所に住むようになり、すばらしい田園風景が広がっていきました。湧水、古道、神社の位置などを調査することによって、人間のさまざまな営みがつくり出す空間の構造が見えてきます。いままでは、それを理解する方法がなかったわけです。日野の調査から、面白い成果がたくさんありました。

新たな学問としての水都学

東京は凸凹の地形によって水の空間をつくり出し、文化や産業もはぐくんで、独自の都市の風景をつくってきました。外濠などの調査を通して、東京を水の都市として評価する視点は無尽蔵にあるということがわかってきました。漁師町の発達や海中渡御、湧水を活かした宗教施設や斜面緑地の庭園など、山の手も郊外も多様な水の都市・地域が広がっています。これを理解するためには、水とともに人の営みがどう展開してきたかをとらえることが重要です。そこで、我々は水都学という学問をつくり、世界中の水都を研究しています。

これまで、人間やコミュニティを中心として、生活空間と建築を一体としてとらえて、主にイタリアや東京を対象に、都市だけではなく、その背後にある地域、自然や環境も含めて、過去・現在・未来を見据えた調査研究を行ってきました。これからも、東京の空間人類学の続編として、さまざまな分野の方々とコラボレーションしていければと考えています。また、若い人たちにはどんどん海外に出かけてもらって、日本の文化の良さや欠点を知るためにも、映し鏡のように外国を見て、いろんなことにチャレンジして、研究の領域を開拓してほしいと思います。